それはマネジメント?

加賀 博昭

以前、上司にマネジメントと管理はその意味が違いマネジメントはマ ネジメントとしか訳しようがないということをいわれたことがあるいわ れいわれたことがある。確かに日本語で管理と言ってしまうといかにも 上からの指示を実行させるために監視や締め付けを行うといった印象が あるが、マネジメントとは本来、物事がうまく運ぶために必要なことで あれば、それがなんであれ必要なこと行うといった意味のはずなので、 マネジメントは管理ではないというのそのとおりである。日本でマネジ メントと称して行われていることは、マネジメントではなく管理といっ た方がより正確な表現である。

ソフトウェア開発において必要なのはマネジメントであって管理では ないのだが、日本では管理とは言えるかもしれないが決してマネジメン トとは言えないことがマネジメントとして行われることが多すぎる。

プロジェクトメンバーをいくら締め上げても、本来の問題を解決しな ければプロジェクトは進まないし、責任をプロジェクトメンバーに押し 付けることができたとしてもプロジェクトは決して成功することもない。 もっとも、プロジェクトを成功させることが目的でないのであれば、管 理者にとってはそれでいいかもしれないが、これは明らに会社に対して もプロジェクトの他のメンバーに対しても背信行為である。

マネジャーやリーダーの役割は本来プロジェクト内の他のメンバーに 対するサービスとしてマネジメントを提供することである。つまり、マ ネージャやリーダーと言われれる人間の役割は、日本で一般的に考えら れているような管理者のイメージとはかなり異なったものになる。

日本のソフトウェア開発現場で多く見られる、顧客企業の社員がプロ ジェクトマネージャで他のプロジェクトメンバーが外部の協力会社の社 員で構成されるようなプロジェクトの場合、顧客企業の社員ががプロ ジェクトマネージャとなるため、マネジメントサービスを他のメンバー に提供するはずのマネージャが、サービスを受ける側という意識で他の メンバーに接することになるので、本来必要なマネジメントサービスが マネージャやリーダから提供されないということになりやすい。

また、適切なマネジメントが行われない、もうひとつの理由としては、 上の人間(マネージャやリーダー)が多少仕事ができなくても、下の人 間(メンバー)がカバーすればよいという古臭い意識がいまだに見られ ることがあげられる。江戸時代であれば、殿様や大旦那が仕事ができな くても家来や番頭が有能であれば、政治や商売がうまくいくということ もあったかも知れないがこれはすでに破綻したしたシステムである、こ のシステムを現代に適用しようする組織は歴史の教訓から考えていずれ 破綻するであろうとしか言いようがない。